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2022年1月25日
投稿者 : 
2ndlife
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今日の辞典

大名火消

江戸開府当初、徳川幕府は火事が発生すると参勤交代で当主が江戸に在留中の大名家に公式文書である奉書を出して召集・鎮火に当たらせました。 これを「奉書火消」といいます。 しかし、寛永18年の桶町火事ではこの体制では間に合わず大火となってしまいました。 幕府は六万石以下の大名十六家に命じて石高に応じて人足を常駐させ、持ち場を決めて消火防火に努めることとさせました。 これが「大名火消」です。 大名火消が出動するときは、物々しい火事装束に身を固め騎乗した武士に引き連れられた家来、人足たちが整然と火事場に急行しました。 このほかに「各自火消」と呼ばれるものがありました。 幕府は天和元年、尾張・水戸・紀州の徳川御三家と加賀藩に火消活動を許可したのを手始めに、各大名の私設消防団をもって近隣の鎮火に当たらせました。 大名の私設の火消であるので各自火消というのですが、こちらも俗に大名火消と言われることが多いようです。 ちなみに、歌舞伎の演目の一つである『盲長屋梅加賀鳶』に出てくる加賀鳶は、そのように加賀藩で独自に抱えていた火消です。 この加賀鳶、威勢のいいことを誇る火消のなかでも、その勇ましさやかっこよさで有名でした。 というのも、現在東大で有名な赤門は、加賀藩に十一代将軍徳川家斉の娘、溶姫が嫁入りしたときに慣例に従い造った御守殿門ですが、御守殿門は消失すると再建することは許されないことになっていたので、消防に一層気合を入れたといわれています。   姫路市 住宅型有料老人ホーム セカンドライフ飾西 全面バリアフリー ユニバーサルデザイン採用
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