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2020年12月14日
投稿者 : 
2ndlife
カテゴリー : 
今日の辞典

忠臣蔵

1702年の12月14日、この日は赤穂浪士47人が本所の吉良邸に討ち入りし、主君の仇討ちを成し遂げた日として広く知られています。 事の発端は、1701年3月、江戸城松之廊下で播磨赤穂藩主・浅野内匠頭長矩が幕府の礼式を司る吉良上野介義央に小刀で切りかかるという事件でした。 浅野には切腹・領地没収という厳しい処置がとられましたが、吉良には一切のおとがめはありませんでした。 これに対して、家臣たちは主君の仇を討つ為に綿密に計画を練り、翌年12月14日寅の上刻に大石内蔵助の率いる47人が、本所の堀部安兵衛宅に集まり吉良邸へ討ち入りをしました。 世論は武士の本懐を遂げた赤穂浪士たちに味方しましたが、幕府は翌年2月4日に一同切腹という処置をとりました。 この事件を題材として、歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』等100種にも登る作品が作られ、現在まで語り継がれています。 ちなみに、忠臣蔵の装束といえばギザギザの文様がお馴染ですが、これは歌舞伎の舞台がその始まりで、これは当時の「定火消し」の装束だったといわれています。 深夜に徒党を組み、まして武器など持っていることがわかれば、当然、止められますから、火消しの装束をまとった、ということにしたようです。 実際は、黒い着物にわらじ、あとは各自の自由にという指示が大石内蔵助から出ていたそうです。   姫路市 高齢者対応住宅 セカンドライフ飾西 全面バリアフリー ユニバーサルデザイン採用
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